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手料理日記抄
 四年余り前、妻が認知症になりかけの頃、いずれは自分で食事の支度をしなければならなくなるだろうと思い、N先生の料理学校で週一回行われる男性料理教室へ通い始めた。

その五回目に、「肉じゃが」の実習があった。後日、自宅で復習したら分からない点がでてきた。実習の時はじゃがいも四〇〇グラムであったが、わが家は妻と二人暮らしなので、三〇〇グラムくらいでいい。とすると、醤油、砂糖、酒、だしの素などの調味料はそれぞれ四分の三でいいだろうが、さて、水の量はどうかで頭を捻った。実習メモには「ゆっくり汁気のなくなるまで煮る」と覚え書きしてある。

思案の挙句、じゃがいもの量が四〇〇グラムでも三〇〇グラクでも軟らかくなるために必要な時間はそれほど変わらないから、水は同量でいいだろうと思った。しかし、同量にすると水が多過ぎて、汁気のなくなるまで煮たらじゃがいもが軟らかくなりすぎはしないかとも考え悩んだ。このようなためらいは、料理をつくるたびに出くわすことで、それは何回も経験するうちに自然と覚えるものだと、この頃ようやく分かってきた。

 数年前「おふくろの味」というコピーが流行り、そのキヤッチフレーズがスーパーやコンビニの店頭に掲示されたことがある。掃除、洗濯、台所の設備器具などが改良され、またレトルト食品など即席の飲食物が多くなって、女性の余暇が増加した。更に、女性の職場が増えて、働く女性が多くなった。そのため専業主婦は減少し、母親が家庭で料理をつくる時間が少なくなった。

 レトルト食品や惣菜店の食品は不味くはないけれど、いつも同じ味でなんとなく味気ない。その点、主婦が手間ひまをかけて家族のために作ったおかずは旨い、と思うようになったから「おふくろの味」というコピーが流行したのであろうか。また、社会生活の急激な変化につれて家族みんながそれぞれ忙しくなり、誰もが自分の事だけのみを考えて、得手勝手に振舞うようになった。そこで、せめて家庭では、おふくろの愛情のこもった手料理が欲しい、という欲求を人々が抱くようになったからではないか、という気もする。

 ところで「おふくろの味」とは一体何だろうか。魚は注意さえすれば誰が焼いても同じ味になるから、焼き魚には「おふくろの味」はない。けれども、煮物はそうそう簡単ではない。食材を調味料で味付けするにしても、その量と水の比率や隠し味のあんばい塩梅とか、熱量の加減、味のしみ具合など、上手に煮るポイントは幾つもある。同じ人が同じ食材で料理しても、その時々によって味が微妙に違うから、そこに「おふくろの味」が出てくるのだと思う。主婦としては経験の積み重ねにより、家族にとってこれが一番美味しいと思う方法で味付けする。それをいつも食べている子どもは、母親の味付けに自然と親しみ、その味覚を一生忘れなくなる。

 このごろ「だしつゆ」を使い始めた。おおかたの煮物はこれで間に合うので至極重宝である。しかし、肉じゃがを「だしつゆ」で作ってみたが、なぜか「これは旨い」という思いがしない。これは醤油や砂糖など個々のさじ加減による味と、普遍的な味覚を追求した「だしつゆ」の味が違うからだと思う。たまたま娘が来宅し昼食を共にしたとき、私が醤油と砂糖を基本とした手作りの肉じゃがを出すと「これは美味しいね」といわれた。たわいないもので、娘に褒められると、認知症治療で浜松の施設に入っている妻にも食べてもらいたいと欲が出た。施設に入所する前、妻が「三男さんの作ったものは何でも美味しい」と言ってくれたことを思い出したからである。

 料理のレパートリーを少し広げようと思い、「一〇〇円おかずの知恵」(主婦の友社刊)を買ってきた。早速、煮物入り卵焼きという簡単なものに挑戦してみた。卵をフライパンに流しいれるまでは造作ないが、さて裏返しする方法が分からない。片面が焦げてくるので止むを得ず四つに切って裏返しした。後日、娘に教えてもらって、裏返しする器具を買ってきたが、そんなドジを幾度か踏みながらも、本のお陰で最近では茄子とピーマンの味噌煮や茄子といんげんの煮物も時どき作る。キャベツと玉ねぎの油いためなどはお手の物だ。これらは何れもひき肉を少し入れると味が引き立つ。

 高齢のためもあってか、最近血圧が高くなった。娘夫婦が心配して、私の誕生日に血圧計をプレゼントしてくれたので、毎日測って記録している。血圧を下げる対策の一つは食事の中の塩分を減らすことであるが、常に減塩すると味が薄くなるので、塩の代わりに酢で味付けするようにしている。酢は身体にいいと昔から言われ、日本料理には酢料理が付きものである。昭和三十年代、結核で休んでいた妻の叔父は、アメリカのバーモンド州産のリンゴ酢を常用していた。私は蜜柑が原料のえんめいす延命酢を使っている。少し甘くて、これだけでも飲めるが、薄く刻んだきゅうりにまぐろ油入りのツナフレークとわかめを加え、これに延命酢をかけて常食している。口あたりがよくて飽かない。

 妻の認知症が進むにつれて、ガスレンジの火の消し忘れが多くなった。その火災予防のために、三年近く前にガスレンジをITのでんじ電磁ちょうりき調理器に変えたが、火力の調節が具合よく、タイマー付、裏表を同時に焼けるなど、大変便利になった。妻は電磁調理器に変えても殆ど使ったことはなく、間もなく施設に入ってしまった。今は私がそれによって至極重宝している。

 H夫人の手料理は絶妙で、これまでに、私好みの「おふくろの味」の肉じゃがやきゃらぶき等いろいろ頂いたが、ある時、きんぴらごぼう牛蒡を下さった。味は勿論申し分がないが、その形状に驚いた。細かく刻んだ同じ長さ太さの牛蒡がきれいに並んでいる。見た目にも美しく、食欲をそそる。何れ食べてしまうのだから、美味しくさえあれば寸法などはどうでもよさそうに思うのだが、日本料理は見た目の美しさも必要なのであろう。長さが均一なのは、人様に差し上げる時はわざわざ不揃いを除くのであろうか、と思いながら私はしばらくみと見惚れていた。それにしてもこれだけ細くそろえて切るのは尋常ではない。何か道具を使ったのではないかと思った。早速カーマへ行って捜したところ、押し出して切る器具があった。それを買い求め、ついでに帰り道で田子重へ寄って牛蒡を買い、家に戻って試したところ、駄目だった。その器具は大根のような柔らかな野菜には使えるが、牛蒡のような繊維の多い固いものには役立たない。

折角買い求めたのに一度使用しただけで、その器具はお蔵入りになった。後日、Hさんに「奥さんは牛蒡を切るのに器具を使いますか」と訊くと、「いいえ、家内はすべて包丁だけです」という返事だったので、H夫人の見事なお手並みに改めて感服した次第である。と同時に、娘が時どき来て料理を作ってくれるが、キャベツを刻むトントントントンとリズミカルに気持ちよく聞こえる音が出るようになるには、毎日台所に立ち頑張っても数年はかかるのではないかと思った。

 以前、妻と町内の婦人会活動を一緒にしていたY夫人は卵料理が得意であるが、ある時、そばを下さった。そばも名の通った逸品であったが、そばつゆが格別であった。一流のそば屋よりもお世辞でなく旨いと思ったので、作り方を伺ってみた。すると、『削りたての鰹節をたっぷり使ってだしをとり、濾しておく。鍋に味醂を入れ沸騰しかけたところへ適当に切ったらうす羅臼昆布とだしを入れる。更に醤油を濃いめに入れ、砂糖を少々加え、昆布を出す』とのことであった。ただし、このだしつゆを作るには時間がかかるので、Y夫人もいつも作るわけではないらしい。「益田さんに一度味わって頂きたいと思って作りました」と言われ、私は感激した。

 これまで私は、そばは市販のそばつゆで食べるのが当たり前だと思っていた。妻が使い残した「だし昆布」があるので、羅臼昆布ではないが、何時の日かそれを使ってそばつゆに挑戦してみようと思っている。

 ところで、Y夫人の作ったそばつゆがなぜ旨いのかを考えていたら、はたと気づき、これはかって経験した「ごま醤油」と同じではないかと思い付いた。私はゆでたほうれん草をいつもごま醤油をつけて食べてる。煎ったごまを買ってきてすり鉢ですり、醤油と砂糖を加えて作るのだが、手間がかかる。出来合いをスーパーで探したところ、「ごまだれ」があったので、これだと思って買ってきた。しかし、これが全くの期待外れで、ごまの味はするが、ごま特有のぷーんと感じる香りがない。

一度使っただけで止めた。と同様に、既製のそばつゆのだしも確かに鰹節からとっているから、それなりの旨みはあるが、削りたての鰹節をたっぷり使い羅臼昆布で仕上げたつゆと風味が違うのは当然である。更にまた、同じ食材で作っても、熱湯を注いで作るインスタントコーヒーと、煎った豆を粉に引いて念入りに作ったコーヒーとの風味が違うのも当たり前だ。ほうれん草のごま醤油は私の好物のひとつであるが、手間がかかる。私ひとりだけのために作るのは面倒なので、妻が病気で施設に入所してからは一度も作っていない。これも一人住まいの侘びしさの一つである。

 自分一人のために三度三度の食事の用意をするのが面倒なので、一年余り前、毎週月曜から金曜までの五日間、仕出屋から昼食の弁当をとることにした。初めのうちは美味しいと思ったが、いつもほぼ同じような中身なので飽いてきた。一日減らし二日減らし、月、水、金の三日とる日がしばらく続いたが、今月の中ごろからやめることにした。それは、同じ味に飽いたことだけでなく、自分の作る料理の方が旨いと感ずるようになったという理由もある。 

 私も妻も大正生まれで、戦中戦後の物の無い時代を生き抜いてきたので、物を粗末にしては勿体ないという気持ちが染み付いている。そのため、食器類にしても、いいものを頂くと、使って壊しては勿体ないと思い、戸棚の奥にしまい込んだ。そして日常の食事には、割れたり壊れたりしても惜しくないものを使っていた。しかし、このごろは使わずにいることこそ勿体ないと思うようになった。私は今八十三歳。父は八十八歳と六ヵ月で亡くなったが、私は病身だから、せいぜい父と同年くらいまでの余命と思っている。これからは、皿、小鉢、漆器の椀など、いいものから使っていこうと思っている。それらの器具も自分も出番がようやく来たかと喜ぶのではないだろうか。

 昭和六十二年六月三十日、島田市の「おおるり」で「これからの教育に望むもの」と題して、千葉大たこ多湖あきら輝教授の講演があった。教授はNHKテレビの「お達者文芸くらぶ」と称する短歌の講座を担当していた。話のまとめに入ったところで、高齢になった男女の短歌に表れた生きざまについて、連れ添いに先立たれた男は、
三勺のかゆ粥た炊く夜はしぐれして 
    とぎれとぎれにこおろぎの鳴く
 と詠み、これに対し後に残された妻は、
  ただひとり箸とるときのわびしさも
    馴れては楽し手料理の味
 と詠んだ事例を紹介した。
 この二つの歌を較べると、同じひとり暮らしの生活でありながら男性の方はいかにも侘しい。私の経験からすると、この歌は実情を端的に表現していると思う。

 女性の平均寿命が男性より七歳も長いのは、女性は年をとっても食事の支度をして頭と手足を使うが、男性は何もしない人が多いということも一因かもしれない。また、男性の平均結婚年齢が女性より少し高い傾向は、後に残された男性の寂しさを幾らかでも減少しようとする無意識の人智なのかもしれない。

 跡取り息子でも親と別居するような世の中に変わり、老人世帯が増え、男性が妻に先立たれて一人暮らしになることも多くなった。そうした場合、こおろぎの声に侘しさを嘆くよりも、ひと通りの家庭料理の腕を持ち、自分の手料理の味を楽しむようになっていたいものだ。私は僅かの期間ではあっても、N先生の男性料理教室へ通ってよかったと思っている。
                     
 (平成十九年四月二十五日)
# by masuda-mitsuo | 2007-05-01 22:00 | 随筆